坂本龍馬 | 時勢論

坂本龍馬

 

竜馬

【はじめに】

坂本龍馬(1835~1867)

 幕末、幕府を倒すための「海軍」と「商社」の性格を併せ持つ浪人結社「海援隊」を組織。西南雄藩から、幕府に到るまでの多彩な人脈を生かして薩長同盟締結、大政奉還に大きな役割を果たした。

 また議会制度や兵制改革、経済の安定策など日本の近代化のモデル案「船中八策」を提唱。新政府の綱領に生かされた。慶応3年、11月15日、京都の近江屋で暗殺される。享年33歳。「日本で初めて株式会社を作った男」「日本で初めて新婚旅行に行った男」としても知られる。

【龍馬参考WEB】

http://ryoma.ktplan.ne.jp/index0.html

 

近代日本史上でこの人ほどアクティブボーイだった人はいないでしょう。

名前だけが先行して、実際に龍馬が何をした人なのか、いまいち知らない人もおおいのではないでしょうか。

因みに、「カミソリ外相」と呼ばれ、外国の外相達から恐れられた陸奥宗光は、晩年龍馬のこのように回想しています。

 

「坂本は、近世史上の一大傑物にして、その融通変化の才に富める、その見
  識議論の高き、その他人を誘説・感得する能に富める、同時代の人、よく
  彼の右に出るものあらざりき。

  坂本は、一方においては、薩・長・土の間にわだかまりたる恩怨を融解せ
  しめて、幕府に対抗する一大勢力を起こさんとすると同時に、直ちに幕府
  の内閣につき、平和無事の間に政権を京都に奉還せしめ、幕府をして諸侯
  を率いて朝廷に朝し、事実において太政大臣たらしめ、名において諸侯を
  平等の臣属たらしめ、もって無血の革命を遂げんと企てぬ。

  彼 もとより土佐藩の一浪士のみ

 

 数々の改革を打ち立ててきた龍馬は、浪士なんです。

 しかも自分の行ってきた事がようやく身を結ぼうとしていた(大政奉還)直前に暗殺されてしまうというドラマティックな最後。

 彼が相当の女好きだとか、梅毒で若ハゲだったとか噂は飛び交えど、龍馬という人は日本の財産であったことに間違いはありません。